2013年06月28日

2012年「真夏の読書探偵」作文コンクール最優秀賞作品


●木下雄太さん(小1・東京都)
「あおいめのこねこをよんで」
お読みになった本 『あおい目のこねこ』(エゴン・マチーセン作/せたていじ訳/福音館書店)

●小平采果さん(小4・神奈川県)
「太陽系の不思議と私」
お読みになった本 『宇宙への秘密の鍵』(ルーシー&スティーヴン・ホーキング作/さくまゆみこ訳/岩崎書店)

●山内優莉さん(小5・埼玉県)
「モーツァルトはおことわりを読んで」
お読みになった本 『モーツァルトはおことわり』(マイケル・モーパーゴ作/さくまゆみこ訳/岩崎書店)

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「あおいめのこねこ」をよんで

木下 雄太

 ぼくは、「あおいめのこねこ」のひょうしやさしえをみて、とてもきにいりました。とくに、ひょうしのあおいめのこねこがいばってるみたいでおもしろいとおもいました。また、おはなしをよんでみると、なかまはずれだったあおいめのこねこがさいごにはなかまにはいれてよかったとおもいました。
 このほんのあらすじは、あおいめのこねこが、おなかをすかせないためにねずみのくにへいっぴきでたびだすおはなしです。たびをしているとちゅうで、あおいめのこねこはいろいろなどうぶつにであってびしょぬれにされたり、からかわれたりしていたが、たまたまいぬにしがみつき、ねずみのくににつくことができました。それをきいろのねこたちにおしえてあげてきいろのねこたちにみとめられるおはなしです。
 ほんについてかんがえたことが、三つあります。
 まず、こねこについてよくわかったことがあります。それは、ねずみのくににいきたいことです。なぜならおなかいっぱいすきなものをたべることがうれしいからです。ぼくはオクラや、きゅうりなどのみどりのものがすきなので、おなかいっぱいたべるとうれしくなるとおもいます。
 つぎに、もしもじぶんがあおいめのこねこならどうするかをかんがえました。ぼくは、ねずみのあしをさがします。そのあしあとをさがせばかならずねずみのくにがみつかるからです。
 さいごにこのほんをよんで、きづいたことがあります。それは、きいろのめのこねこが、あおいめのこねこのきもちをかんがえていないとおもって、それはわるいとおもったことです。なぜなら、あおいめのこねこがねずみのくにをみつけたことを、きいろのめのこねこたちにつたえたときに、うそかわからないのにうそつきよばわりしたからです。もしもぼくがそれをされたら、やなきもちがするとおもいます。
 このことから、このほんをよんだひとは、はなすときにあいてのきもちをかんがえてほしいとおもいました。そうすれば、いやなきもちをするひとがいなくなってみんながきもちよくすごせるとおもうからです。

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太陽系の不思議と私

小平 采果

 私がこの本を読もうと思ったのは、母にすすめられたからだ。はじめはむずかしくてつまらなかったが、時間がある時読んでみた。すると、なんだか、楽しい。はじめて知った事や想ぞうしたことがたくさんあったからだ。そして、この本を読んで、私自身が変わったことと、変わらなかったことがある。私はときどきこの本をのぞいている。
 私がはじめに知った事は、月が夜空でかがやけるのは、太陽に照らされているからだということだ。私は、月は自分で光っていると思っていた。また、夜空に小さく光っている星が、こう星という太陽のような大きな星であることもわかった。星は、太陽や地球よりもずっと小さいと思っていたので、信じられなかった。そして、太陽系という、太陽に家族のような星があることを知った。
 私は地球が太陽の周いを回っていることは知っていたが、太陽系の絵を見て、本当のしくみがわかった。私が住んでいる地球も太陽の家族の一員だ。私は太陽系について学んだことを、「宇宙の星新聞」にまとめてみた。
 新聞を作っていて、不思議に思ったことがある。例えば、水星が熱い星である事と、火星が寒い星であることだ。水星は、しゃく熱の世界で、はい色の死の世界と言われている。水星の字には、「水」という漢字があるのにあついなんてへんだなあと思った。反対に、火星は、寒くてさばくのような星らしい。名前がまるであべこべだ。
 太陽系について調べていて、私はふと、「太陽って、パパににているなあ。」と思った。私の父も家族の中心にいて、いつも私をはげましてくれる。私は、太陽系を自分の家族で考えてみようとしたが、人数がたりなかったので、かわりに動物にあてはめてみた。
 まず、太陽はライオンだ。なぜなら、ライオンは、動物の王者で、たてがみが太陽のほのおとにているからだ。水星はイルカだ。水星という漢字からイメージして海に住む動物を選んだ。本当の水星はあつい星だけど、私のイメージは変わらない。金星はトラだ。トラには黒と黄色のしましまがある。黄色のしまが金色のようにキラキラしている。金星も漢字からのイメージだ。そして、地球は人間だ。私達が住んでいるわく星だからだ。火星はサル。水があり、地球とかんきょうがにていて、地表が、赤いからだ。しかも、サルは人間に近いし、サルの体は赤い。木星はゾウ。八このわく星の中で一番大きいからだ。わっかをもっている土星はラクダだ。土星のわっかはラクダの口わににているからだ。太陽から七番目の天王星はホッキョクグマだ。天王星は、私の中では白いイメージがある。それに、北きょくは地球のはしっこにあり天王星も太陽からはなれている。そして一番はずれにいるペンギンの海王星。ペンギンは南きょくに住んでいて、私たちの所から遠くはなれている。さらに、「海」という字から海の動物のペンギンがうかんだ。
 では、月はどうかな。月はわく星ではないけれど、地球にとって特別な星だ。日本では昔から、「月でうさぎがもちつきをしている。」という言い伝えがある。だから、やっぱり月はうさぎだ。
 このように太陽系をなにかにたとえるのはとても楽しい。私は花にもたとえてみた。太陽から順番に、ひなげし、オオイヌノフグリ、きんもくせい、青いバラ、ダリア、木の実、サボテン、シロツメクサ、朝顔、そして、月はたんぽぽになった。今度は友達にたとえてみようかな。
 本を読み終って、わかったことが二つある。
 ひとつ目は、「変わったこと」だ。私の住所が長くなった。私の住所は、神奈川県からはじまっていたが、本当は、「宇宙太陽系地球日本神奈川県…」になる。私は、宇宙新聞の住所を新しい住所に書きかえておいた。
 ふたつ目は、「変わらなかったこと」だ。この本で学んだことはたくさんあったが、私が持っていた太陽や月や星に対するイメージは本を読んだあとも変わらなかった。月はやっぱり自分で光っていると思うし、水星は海に泳ぐイルカのようだし火星は赤くてあつい星のような気がする。
 私はいろいろなことを知ったのに、どうしてイメージが変わらないのかな。その理由は、分からない。

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モーツァルトはおことわりを読んで

山内 優莉

 私は三才のころからピアノを習っています。モーツァルトの曲は明るく軽かいで好きな曲ばかりです。例えば、かたくるしいバッハやむずかしいテクニックのいるリストなら、私もちょっとおことわりかなぁと思います。けれどなぜ、モーツァルトがおことわりなのだろうと不思議に思いながら読み始めました。
 ヴェニスの床屋の息子、パオロ・レヴィ。母がずっとかくしていた大切なバイオリン。パオロはそれを見た時、世界の全ての音楽がこのバイオリンの中にあり、とじこめられていて出てきたがっていると感じたのでした。けれども、とじこめられていたのは音楽だけでなく、両親をふくむユダヤ人の悪夢のような悲しいひみつだったのです。
 私はユダヤ人に会ったことがあります。二年前にニューヨークに旅行に行った時です。シルクハット、せ広、くつ全て真っ黒にそろえた男の人達。みんな同じ不思議なかみ型をした子供達。その人達だけの社会があるみたいで、私はこわくて近寄れませんでした。
「あんな風になったのには、理由があるのよ。」そう教えてくれたのは、ローレンと言う姉の友人の弁ご士さんでした。かの女もユダヤ人です。ローレンはおしゃれですてきな人です。私は同じユダヤ人でも、どうしてこんなにも、分かれているのだろうと思いました。ローレンが言っていた理由が、この本を読んで、少し分かった気がします。
 もっとくわしく知りたくて、私なりに調べたり、「ライフ・イズ・ビューティフル」と言う映画を見たりしました。
 第二次世界大戦中、ヒットラーひきいるナチスドイツは、ユダヤ人と言う理由だけで、その人達をとらえ、強制収容所に入れました。労働できない大半の人々はガス室に送られ、そこで殺されてしまいました。何百万人の人達がです。
 私は、それが大昔の信長や家康の戦国時代ではなく、たった六、七十年前のそ父母の時代だということにもおどろきました。
 パオロの両親やバンジャマンは、楽器が演そうできるという理由で生きのびることができました。しかし、想像もできないようなつらい思いをするのです。オーケストラは、汽車からおりてくる仲間のユダヤ人達にきょうふをやわらげるための道具だったのです。多くの人がそのままガス室に送られました。その時演そうしていたのが、モーツァルトの曲だったのです。
 その時かなでた音色ってどんな感じだったのだろう。
 私は発表会などで演そうする時、(どうか聴いて下さい)と心でとなえながらおじきをします。はく手をもらうと、とても気持ちが良いです。でも、イライラしていて、ピアノにあたりきつい音を出しおこられることもあります。また、大大大大好きな嵐の曲をきくと、ワクワクして、大声で歌いおどり出してしまいます。音楽は、イヤイヤする物ではなく、心から音を楽しむことだと思うのです。
 でも、パオロの両親やバンジャマンは殺されないように、つらい思いをかくして演そうをしなければならなかったのです。いくらモーツァルトの曲でも、明るい音ではなく、悲しみをごまかした音だったと思います。かれらは、楽器をぶきに戦っていたのです。
 その後、パオロの父は音楽をふういんし、母は、バイオリンを大切にかくし、バンジャマンは、音楽を続けました。
 そして、そのバイオリンは、三人をつなげパオロによってすてきな音をかなでることができたのです。父との約束で、モーツァルトだけは、ひきませんでした。
 五十才の誕生日で初めてひくモーツァルト。父達も、天国で優しい音色をきき、感動することでしょう。きっと今までとじこめられていた、悲しく苦しい記おくも、うすれていくはずだと思います。
 私もそのコンサートに行って、パオロのバイオリンを聴いてみたいです。

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2011年「秋の読書探偵」作文コンクール最優秀賞作品


●小平采果さん(小3・神奈川県)
「ファーブル昆虫記」
 お読みになった本 『ファーブル昆虫記』(アンリ・ファーブル作/舟崎克彦訳/集英社)

●夏羽さん(小6・宮崎県)
「〜Sparkling Cyanide〜」
 お読みになった本 『忘られぬ死』(アガサ・クリスティー作/中村能三訳/早川書房)

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小平 采果

 わたしは夏休みに、『ファーブル昆虫記』を読みました。読みおわって、わたしは、ファーブルさんにお手紙を書きたくなりました。わたしもカブトムシをかっていたからです。わたしは、お友だちにもお手紙を書きたくなりました。その理由は、わたしの学校にも、虫が大きらいな人がいっぱいいるからです。二つの手紙を読んで下さい。


天国のファーブルさんへ

小平 采果

 わたしは、今年の八月まで、カブトムシをかっていました。そのカブトムシに不思ぎなことがおきたので、ファーブルさんにお手紙を書いています。
 わたしは、カブトムシをとう明のプラスチックのケースに入れてかっていました。ケースの中には、クヌギの土を入れてあります。その上には、ちぎってまるめた新聞紙をおいてあります。すみの方にはアルミホイルをおき、その上に、モモの切り身やみつをおいてあります。カブトムシはとても食いしんぼうでした。モモをたくさん食べ、みつをたっぷりとなめていました。食べるとき以外は、とてもしずかにくらしていました。
 ある日、地しんがおきました。カブトムシのケースが、グラグラとゆれました。カブトムシはケースの真ん中にいました。ケースがゆれると、右にうごき、左にうごき、さらに上に行き、おりて来て、また右に行き、つめでキーッ、キーッとプラスチックのケースをひっかいていました。
 その日から、カブトムシは、わたしがせなかを少しつついただけで、あわただしくうごきまわるようになりました。これまでしずかだったのに、きゅうにあわだたしくうごき始めたのはなんでだろうと思いました。そして、一週間後しんでしまいました。かわいそうでした。
 ファーブルさん、カブトムシは地しんがとてもこわかったのだと思います。日本ではよく地しんがおきます。地しんがおきた時にはどうすればよいでしょうか。どうやって、カブトムシを守ってあげればいいでしょうか。教えて下さい。


虫のきらいなお友だちへ

小平 采果

 虫のきらいなお友だちに虫がすきになる本をしょうかいします。それは『ファーブル昆虫記』です。箱を開けると色んな虫がとび出します。わたしのすきな四ひきの虫のしょうかいをします。
 一ぴき目の虫はサムライアリです。ファーブルがサムライアリにちょっかいを出します。新聞紙をかぶせたり、においのつよいハッカをおいたり、水をまいたりします。でもサムライアリは自分たちのにおいを見つけて自分のすにもどる事が出来るのです。
 二ひき目の虫は、カニグモのお母さんです。カニグモのお母さんは、自分のたまごを守るために、一ヶ月い上もえさを食べずにたまごの近くで見守ります。
 三びき目の虫はセミです。セミは、ないている時そばで大ほうを二回ほどうってもびくともしません。ただ、ジージーとないているばかりです。私はその様子をそうぞうするとおかしくてたまりません。
 四ひき目の虫は、タマオシコガネです。タマオシコガネはフンコロガシともよばれています。エジプト人は「スカラベ」神様の虫とよんでいます。わたしは、なぜエジプト人がかみ様の虫とよぶのか不思ぎでした。エジプト人にとっては、タマオシコガネは太ようをころがしているように見えるそうです。くさい動物のふんをどうして太ようとと言えるのか不思ぎでたまりません。
 こんなふうに、『ファーブル昆虫記』はおもしろい虫がいっぱい入ったびっくり箱です。虫のきらいなお友だちもきっとこの本を読んだら虫がすきになると思いますよ。

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〜Sparkling Cyanide〜

夏羽

「アガサ・クリスティー」この名前を聞いて、ほとんどの人は名探偵ポアロやミス・マープルを想像するだろう。ポアロはユニークかつ聡明な人物である。彼はイスに座りご自慢の灰色の脳細胞を働かせ実に鮮やかに事件の謎を解いていくのである。これぞ探偵小説!!なのである。しかしこのあまりにも有名なアガサの作品の中に「ノン・シリーズ」というのがあるのをご存知だろうか。これは、全くの素人があらゆることに興味を持ち事件の謎を解いていくという物だ。もちろんポアロやマープルといった一流の名探偵は出てこない。しかしこの素人探偵がでてくるシリーズにはポアロ達には決してない独特の良さがある。それはイスに座りじっと考え謎を解いていくポアロ達とは対照的に「ノン・シリーズ」にでてくる若者は考えずに直感で行動しそれらを解決していく。それは実に心地が良くそう快である。その「ノン・シリーズ」の中でも私は「忘られぬ死」という作品が今は一番のお気に入りである。
 この作品は、美女ローズマリーが自分の誕生パーティで自ら毒を飲んでこの世を去ってしまう。その一年後に彼女を思い出し回想する六人の男女の間で再び事件が起こるという話である。私はこの作品の中に出てくるローズマリーという女性が、特別好きだ。完ぺきな美人である。彼女の生活はだれが見ても豪華絢爛・豪遊三昧なのだ。しかし、実際の彼女はちがう。表面では見せない弱さがある。自信に満ちあふれているようで実際はこれで良いのかと思い悩み、人に頼らずにはいられない人間なのだ。アガサの描く人物には“リアリティー”がある。誰しも人の心に潜む闇、言いかえれば人間らしさを小説の中の人物に置きかえて実に巧みに表現し、共感させる。容易にできることではない。しかし彼女はそれをいともたやすく自然に文章の中に組みこんでいく。ある人物の書評に「アガサは上手すぎる故に気づかれないのだ」とあったがその通りだと思う。
 この本の中では人間関係がとても複雑だ。しかしこの込み入った関係が実におもしろいのだ。読み進めていく度にその絡まった糸が一つ一つほどけていくのが私にはたまらない快感なのである。また次第にその中の世界に引きずりこまれ、失礼ではあるがあたかも自分がローズマリーであるかのように思えてくる。
 愛にはいろいろな形がある…どれもまちがいではないのだろう。
 この小説の結末は私にとっても「忘られぬ」ものとなるのだ。
 ローズマリーという人間がいかに多くの人の記憶に残る人物であったか、彼女という人間がいかに大切であったか、彼女にかくされた裏の真実の部分を彼女の死後、皆が理解することとなるのである。
 私にはクリスティーがこの本を何故「忘られぬ死」とつけたか分かる気がする。文の結末、
「彼女はもうここにはいないね。」
この何気ない一言は実はとても深く重いのだ。どれだけ大切であったか分からない彼女の死を受け入れ、その思いに区切りをつけるのだ。この一言に尽きるのだ。
 最高潮の盛り上がりを見せていたところから一気に最後、静寂がおとずれる。しかしこの動・静の描写が実にうまくこの本の最大の魅力である。心の底から熱いものが込み上げてくる。
「アガサ・クリスティー」…彼女はそうミステリーの女王なのである。トリックはもちろんのこと心理描写、人の心の変化を描く天才だ。彼女の作品はなるほど、そうだったのかと思えるところがよくある。しかしそれが彼女のうまさでありごく自然にその世界に引きこまれていき、その巧みなトリックに気がつけないのだ。
 この作品の好所は私自身どっぷりした恋愛小説が苦手なのだがこれはある意味恋愛小説でありながらとてもさわやかで心地がよいのである。クリスティーの作品の中に恋愛ものの小説があることを知った。まだ読んではいないが、この「忘られぬ死」を感じそれがどんなに素晴らしい作品であるか想像にかたくない。ぜひ読んでおきたい一冊だ。「春にして君を離れ」…またちがったアガサ・クリスティーに出会えるのを期待している。

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なお、この年のコンクールでは「中高生の部」があり、黒田國裕さん(中1)が最優秀賞に選ばれました。
お読みになった本は『オリエント急行殺人事件』(アガサ・クリスティー作/安藤由紀・各務三郎訳/岩崎書店)です。

2010年「真夏の読書探偵」作文コンクール最優秀賞作品


●越前かおりさん(小4・東京都) 
「めいたんていネートシリーズを読んで」
お読みになった本 『めいたんていネート ペット・コンテストは大さわぎ』(M.W.シャーマット作/M.シマント絵/神宮輝夫訳/大日本図書)

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めいたんていネートシリーズを読んで

越前かおり

 私は、めいたんていネートの本が好きです。一年生の時から何回も読んでいます。ネートは、私と同じ九才で、数々の事件を解決していく少年です。ネートは事件を引き受ける時に、毎回、
「この事件、めいたんていネートがひきうけた。」
 と言うので、少しナルシスト?な感じです。しかし、その言葉が出てくると、いよいよ事件のなぞときが始まるので、ワクワクします。
 私の好きな話は『ペット・コンテストは大さわぎ』です。ペット・コンテストに優勝した動物に与えられる、金文字で「ゆうしょう」と書いてあるツナの空きかんがなくなってしまいました。ここでネートの出番です。友達のアニーの飼っている犬のファングのしっぽに、なんと…金色のペンキが付いていたのです。それを手がかりにし、知恵をしぼって解決したのです。ファングがしっぽをふって、空きかんが、ネートの自転車の袋に入ってしまったのでした。これで事件は解決です。ペットコンテストでは、ネートが飼っているスラッジがみごと優勝しました。家に帰って、スラッジには大きなほねをやり、ネートはパンケーキを作って食べました。それが一番のごほうびでした。やっぱりネートはめいたんていだなぁ参りましたと感じます。
 このシリーズは、自分もいっしょになぞを解きながら読めるところが面白いです。ネートが事件を解決した時、なぜこんなかんたんな事が解けなかったのだろうと思います。
 私も物をよくなくします。いろいろ探してみますが、なかなか見つかりません。そういう時には、しんこきゅうをして、最後にそれを見かけた時を思い出してみます。すると、発見できるかくりつは七十五パーセント位です。
 私は自分の周りに起こる事件を元に、めいたんていネートのような物語を書くミステリー作家になりたいです。そのために、「ひみつのミステリーノート」という物を作ろうとしています。それは、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも知らない、文字が消えているノートです。私にしか読めません。なぜなら、特別な光をあてると、文字が黄緑色に浮き出てくるペンを使っているからです。作ったら私もミステリー作家になれると思いますか?

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